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ぼくの思い出の場所~荻窪・光明院、そして尋ね人。

今日は池袋での個人鑑定をすませ、
急に思い立って、
JRに乗って荻窪まででかけました。

以前から気になっていたカメラバッグが、
荻窪のカメラショップにあることを知り、
その購入が目的でした。

荻窪。
何年ぶりでしょう。

ぼくがまだ大学生のころ、
山下という鹿児島・出水の出身の友だちが住んでいて、
よく彼を訪ねたものです。
駅前には太宰治がカウンターで飲んでいた飲み屋があり、
古びて汚い一膳飯屋、定食屋が、
お金のない学生たちのお腹を満たしてくれていました。

            

山下克朗。
あいつは弁護士になったのだろうか?
法学部でともに学び、
仲間と集まると徹夜で麻雀をやっていたぼくのことを、
たまには思い出してくれているのだろうか?
毎年、暑中見舞いと年賀状に几帳面な文字を埋めて、
便りをくれるやつだった。
あるとき、ぼくは何かの事情があって、
年賀状を出せないときがあった。
それ以来、あいつからの便りは、
まるで頑なに扉を閉ざすように届かなくなった。
何度非礼を詫びる手紙を出しても、
二度と返信は届かなくなった。

もし、どこかの検索サイトを通して、
ぼくのこのブログを山下が見ることがあったら、
連絡してほしい。
山下を知るどなたかがこのブログを読まれることがあったら、
山下に伝えてほしい。

            

もうひとつ、
ぼくには荻窪に思い出があります。
これも、ぼくがまだ21~22歳くらいの
まさに青春時代のことです。

ぼくは当時、
目白から石神井公園に引っ越したばかりのころで、
たまたま、荻窪で人形劇団の劇団員を募集している記事を見つけて、
その劇団に入って、毎日石神井公園からバスで通い、
仲間たちと一緒に活動していたときがありました。
人形劇団は「ピッコロ」といいます。

当時は結構有名な劇団で、
幼稚園を中心に活動し、
地方まで出張公演にも行っていました。

そのピッコロは、
荻窪のJRと環八通りの交差するあたりにある
光明院というお寺さんの住職が経営していて、
境内のすぐそばの小屋が劇団の本部になっていました。

光明院


そこに集まる劇団員は5名。
Kさん、ふりはっちゃん、はるみ、きょうこ、
そして、当時は“ぼち”と呼ばれていたぼくです。

ぼくが得意だったレパートリーのひとつは、
向こうの山のオオカミさん役です。
いまでも声色(こわいろ)ができますよ(笑)。
ご要望があれば、オオカミさんで鑑定もします。
もちろん冗談です(笑)。

このメンバーでいろいろな場所で公演をしました。
ある日、福井県今立町(現・越前市)の山間に
八石(はちこく)という集落があって、
そこの廃校になった小学校の分校で公演をすることになりました。

この分校での出会いで、
ぼくはピッコロを辞めて、
八石に住み着くことになります。

このあたりの経緯は、
またいつかこちらで書くことがあるかもしれませんが、
今日訪れた荻窪には、
劇団員たちとの思い出がたくさん残っています。

でも、あれから35年。

ピッコロの本部だった小屋はなくなり、
跡地は駐車場になっていました。

ピッコロ跡地

荻窪の街には、
あのころを思い出させる面影は、
何ひとつ残っていませんでした。

光明院入口

残っていたのは、
光明院の本堂とお地蔵さんだけでした。


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