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「ヴェニスの商人」を観て思ったこと。

劇団四季の「ヴェニスの商人」を観て来ました。
久々のストレートプレイでしたが、
さすが四季、さすが浅利慶太さんですね。
自由劇場に演劇人の魂、執念を見ました。

劇団四季「ヴェニスの商人」

ポーシャの野村玲子さんをはじめとした
四季のキャストたちも素晴らしかったのですが、
なんといってもこの舞台は平幹二朗さんのものでした。
ユダヤ人シャイロックという悪役を演じながら、
あえて抑え気味な演技で、
観る者に社会のマイノリティーへの共感を誘います。
この膨大な量の台詞をどうやって入れるのか、
もの覚えの悪いぼくはそちらにも感嘆せざるを得ませんでした。

この「ヴェニスの商人」に触発され、
シェイクスピアをまた読み始めました。
古典劇には真理が残っています。
否、真理があるからこそ古典として残っているのですね。
真理は読むたびに、
そのときの読み手の一番ナイーブなところに触ります。
ぼくの場合はアントーニオーとバサーニオーの友情でしょうか。
類型的、原始的な友情ではありますが、
そこには確かな真理があって、
ぼくの感じやすいところを撫でていきました。

自由劇場

友情。
なんと懐かしい響きなんでしょう。
あの青春の夏の日に別れを告げて以来、
四畳半のアパートで夜どおし語り明かして以来、
その思い出とともに過去の納戸にしまったままだったようです。
あれから社会に出て時間を切り売りするなかで、
出し抜き出し抜かれ、裏切り裏切られ、
すべての局面で恋人、家族、組織が優先し、
友情という言葉さえも忘れていました。

親友バサーニオーのために自らの肉体を賭して、
ユダヤ人のシャイロックから金を借りるアントーニオー。
ポーシャから愛の印としてもらった大切な指輪を、
アントーニオーを救ってくれた博士に差し出すバサーニオー。
ぼくにこの二人のようなことができるだろうか?
ぼくには彼らのような親友がいるだろうか?
死ぬときに枕元に駆けつけてくれる友だちはいるだろうか?
そう、自分がアントーニオーにならなければ、
バサーニオーは得られないんですよね。

映画やドラマだって“愛”をテーマにしたものばかりで、
“友情”をメインテーマにしたものはほとんどないですよね。
大震災があった今年、
「誰かの役に立てるなら、自分ができることを無償でやりたい」
という気持ちを抱いた人は多いと思います。
それって、“愛”とも呼べるかもしれませんが、
“友情”に近い感覚だと思いませんか?
個人主義や組織偏重の社会ではなく、
誰かのために大切なものを差し出す、
そんな“友情”に似た気持ちが、
これからの新しい日本を作っていくのだと思いませんか?

ぼくは、日本に「友情の時代」がやってくると思います。
人と人との信義の時代です。
社会の厳しさは相変わらずでしょうが、
自分で全部取ろうとせず、
自分の分も持っていない人に快く分けてあげる。
ひとりひとりがそんな気持ちになれたら、どんなにいいでしょう。
“施す”のではありませんし、
法律で分け前を決めるというのでもありませんよ。
大震災を経験した日本だからこそ、
そろそろ気づくときだと思います。

中学のころのバンド仲間から、
久しぶりに飲み会の誘いがきました。
ほこりを被った友情がまだ健在かどうか、確かめてきます。

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