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続・ピンチヒッターちえい。

7月5日(火)と7月11日(月)と25日(月)に、
またピンチヒッターでデルフィーに出演することになりました。
念のため、7月の出演日を書いておきますね。

5日(火)、6日(水)、11日(月)、13日(水)、
20日(水)、25日(月)、27日(水)
以上の7日間です。

よろしかったら、お気軽にお立ち寄りください。


近藤局長の隠れ家?


局長がこんなところに・・・。
街を歩いていたら、偶然、こんな表札に出合いました。

日本橋久松町。
このあたり、江戸のころは庶民が暮らす下町で、
ぼくの大好きな藤沢周平氏の作品世界にもたびたび登場します。
「用心棒日月抄」「よろずや平四郎活人剣」とか、
ぼくは、氏の時代小説ではなぜか浪人物に惹かれます。

前世で傘張り浪人でもしていたのかな。

ちなみに、「近藤勇」氏のお宅の隣は、
魚屋さんが経営する安くておいしい立ち飲みの居酒屋です。

「酒喰州(しゅくず)」


店名は「酒喰州(しゅくず)」といって、
ほんとうに小さな店なんですが、
界隈だけではなく、この店を目当てに遠くからお客さんが訪れています。
まあ、ぼくもそのひとりですが。

このあたりにいると何故かほっとするんですよね。
その昔、
傘張りや筆耕(ひっこう)仕事でわずかな金を稼いでは、
こうやって安い飲み屋に通っていたんでしょうか。

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鳥原如未さんのこと。

鳥原如未と書いて、
“とりはらゆきみ”と読みます。
まだ世間一般には知名度は低いと思いますが、
劇団四季で舞台に立っています。

この前、「ヴェニスの商人」について書きましたが、
彼女もこの舞台のキャストのひとりで、
シャイロックの娘・ジェシカ役を演じています。

歌うことが大好きな彼女は、
劇団四季に入ってからもずっとミュージカル志向で、
最近では「美女と野獣」の主役・ベルを演じていました。
ですので、これが彼女にとって初のストレートプレイです。

実は、彼女とぼくにはちょっとした物語があります。

彼女との出会いは、もうかれこれ6年ほど前になるでしょうか。
まだ彼女が宝塚歌劇団の花組の娘役だったころのことです。
ぼくは当時、舞台の雑誌の編集長をしていました。
人の縁とは不思議なもので、ふとしたことがきっかけで出会い、
彼女のご家族も含めて、父と娘のような関係を続けてきました。

ぼくが言うと親バカのようですが、
彼女は本当に歌が上手で、ダンスも素晴らしいし、
ミュージカル女優としての素質は、
生徒のなかで抜きん出ていました。

でも、あるときから彼女は悩み始めます。

誰が見ても歌もダンスも見劣りする下級生が、
自分よりいい役をもらっていくのです。
次の公演もそうでした。またその次も・・・。
彼女は思いました。
ここが私の居場所なんだろうか、と。

彼女が宝塚音楽学校に入学したのは、
幼いころに劇団四季のミュージカルを観て、
私もミュージカルがやりたい、と思ったのがきっかけでした。
宝塚のきらびやかな世界にあこがれたからではなく、
まだ中学生だった彼女にとってミュージカルという夢を実現できる場は、
宝塚しかなかったのです。

宝塚大劇場の舞台に初めて立ってから7年後、
彼女は宝塚歌劇団と花組の仲間たちに別れを告げました。

ぼくも彼女にいろいろなアドバイスをしましたし、
大阪のアメ村の有名な占い師のところまで彼女を連れて行ったりもしました。
でも、結局は彼女が自分の意志で決めたんです。
何が待っているのか、まったく先が見えずに不安だったでしょうが、
自分で人生を選んだんです。

人間にはタイミングというものがあるんですね。
いまがまさにその時、という。

宝塚市から東京に引っ越してきた彼女を待っていたのは、
なんと、劇団四季のオーディションでした。
劇団四季のぼくの知人から連絡が入り、
臨時のオーディションを受けられるというのです。

合格の報せは、ぼくにとっては当然のことでした。
彼女の才能は、
本当に見る目のある人が見れば明らかだったからです。

昨年、京都劇場で開幕した「美女と野獣」で、
彼女が主役のベルを演じると聞いたときは、
京都まで飛んでいきました。
終演後、楽屋で彼女の顔を見て、
ぼくが感極まったのは言うまでもありません。

「美女と野獣」京都公演のキャスト表
「美女と野獣」京都公演のキャスト表     

         

頑張っても頑張っても、
人の十倍努力しても、
思うような結果が出ないなら、
そこはあなたの居場所ではないかもしれません。

その環境ではあなたの良さは生かせないんです。
こんなに頑張ってるのに、自分の方がもっとできるのに、
いつも誰かに先に行かれてしまう。

そんなときは、いつまでもそこで我慢していてはいけません。
あなたの居場所はほかにあるのです。
あなたに信念があるなら、あなたが本気なら、
きっと神様も、
あなたが本来の場所へ向かう味方をしてくれますよ。


知叡のいる場所[1] 金王八幡宮

渋谷に金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)という
神社があるのをご存知でしょうか?
渋谷駅から246と明治通りの交差する歩道橋を渡って、
六本木通りを西麻布方向へ200mほど坂を上った右手にあります。
大通りからは見えませんので、
ここに渋谷、青山地区の安寧を司る総鎮守があることを
知らない人が多いでしょうね。

山門 金王八幡宮の山門は普通の道路になってしまっています。

ぼくは、このそばにある会社に月イチで打ち合わせに伺うので、
そのたびに心掛けて予定より早めに出かけ、
こちらにお参りさせていただきます。

ビルの谷間にありながらも、
境内には現代の渋谷とは思えないいい気が溢れています。
ぼくは特に雨の日の落ち着いた静寂が好きです。
今日はたまたまその雨の日でしたので、
携帯のカメラに収めてみました。

神門と階段社殿 境内には静かな気が穏やかに溢れます。

ちょうどこの時期、
心身についた罪穢(つみけがれ)や禍(わざわい)を祓い清め、
夏の流行病からも免れ、
幸せに過ごせるようにと祈る神事が6月30日に行われるため、
神門をくぐると、茅輪(ちのわと呼ばれる大きな輪が設置されていました。
この茅輪を左まわり、右まわりと八の字に三回通ると、
穢れを祓ってくれるそうです。
7月14日まで設置されているそうですから、
罪・穢・禍を祓いたい方はお試しください。

茅輪(ちのわ)
茅輪(ちのわ)2 茅輪をくぐって心身を浄化しましょう。

社殿にお参りするのはもちろんですが、
ぼくは必ず金王丸御影堂にも手を合わせます。
この祠には、源頼朝に従い、その命を受けて
心ならずも義経討伐のために京に向かい、
みごとに討ち死にした土佐坊昌俊が祀られています。
彼の出家前の名前が、渋谷金王丸常光といい、
その名声から金王八幡宮の名で称されるようになったそうです。

金王丸御影堂金王丸御影堂2 金王丸御影堂。なぜかこの祠を撮ると白い光が写り込みます。

この御影堂の中には、金王丸が17歳で出陣するとき、
自分の姿を彫刻して母に形見として残した木像が納められています。
残念ながらこの木像とはまだ体面させていただいてませんが、
この祠の前に立つと、ぼくはいつも強い波動を感じ、
パワーをいただきます。

八幡さまといえば、武運の神様ですので、
商売繁盛、開運をお望みの方は、立ち寄られてみてはいかがでしょう。
その折には、金王丸御影堂のパワーもいただいてきてくださいね。

また、すぐそばには、
こちらもぼくの立ち寄りスポット、渋谷氷川神社があります。
こちらもとても素晴らしいですから、
休日に渋谷の閑静な裏道を歩いて、
いい気をいただく神社巡りなんていかがでしょうか。

渋谷氷川神社の境内。 渋谷氷川神社の境内。

★金王八幡宮
東京都渋谷区渋谷3-5-12
JR渋谷駅徒歩10分

長生きするということ。

故郷に住む85歳の母から電話がかかってきました。
6月12日のNHKスペシャルで、
新しい健康法をやるから見ろと言うんです。
この夜はちょうど、前回書きましたように
中学のときのバンド仲間との飲み会でしたので、
DVDに録画して、翌日見ました。

太陽が山羊座♑の母にとって「健康」は大きなテーマですので、
ちょくちょくあれを見ろ、これを見ろと
健康番組を見るのを強要してくるのです。
「ふぅ、またか」と思いながらも、
あとで見た感想を問われ、
返答に窮した場合どんな目に遭うかは、
長い母と息子のつきあいでよくわかっていますので、
半ば義務感で再生ボタンを押しました。

NHKスペシャル「あなたの寿命は延ばせる~発見!長寿遺伝子~」

ところが、番組が始まってすぐに「おや?」と思いました。
ご覧になった方も多いとは思いますが、
老化を遅らせて寿命を延ばす遺伝子が見つかったというのです。
「サーチュイン遺伝子」といって、ヒトなら誰でも持っていて、
この遺伝子を理想的に働かせることができれば、
寿命は100歳を超えるといいます。

では、どうすればこの遺伝子を働かせることができるのか?
それは食事制限だとか。
ちょっとラフな説明になりますが、
これまで摂取していたカロリーを30%ほど落として、
活性酸素の発生を抑えればいい、というのが結論です。
ですが、このカロリー制限は、
一生続けなくては効果がストップしてしまうとのこと。

ちょっと諦め顔になったぼくのような視聴者のために、
番組ではもうひとつ、
この「サーチュイン遺伝子」の働きを高めることができる
サプリメントの紹介もありました。
それは「レスベラトロール」という抗酸化物質で、
アメリカでは、「レスベラトロール」のサプリメントが、
一般の家庭に広く普及しているそうです。
日本にも一気に「レスベラトロール」ブームがきそうですね。

レスベラトロール


こういう情報は一般的には、朗報として受け止められると思いますが、
最近はどうも、「長生きをする」ということを歓迎しない人が
増えてきているような気がします。
鑑定をしていて、長い生命線をお持ちの方には、
「長生きされますよ。そうですね、90歳は十分超えますよ」
などと笑顔でお伝えするのですが、逆に嫌な顔をされて、
「え~、そんなに生きるんですか? 私、長生きしたくないんです」
とおっしゃる方がよくいらっしゃいます。
それも、まだ守るものがない若い方だけではないので、驚かされます。

聞けば、「長生きしたら子や孫に迷惑をかける」とか、
「よぼよぼで長生きしたっていいことないでしょ」とか。
そう真顔で言われてしまうと、こちらも言葉を失してしまいます。
でも、だとしたらあなたは、
大切な人にも長生きしてほしくないっていうことなんでしょうか?
親に長生きされたら迷惑なんでしょうか?
自分の生命をいとおしむことができるからこそ、
愛する者の生命をいとしむことができるのではないでしょうか?

人の価値観はそれぞれですので、
ぼくのものをそのまま押し付けようとは思いませんが、
何かおかしいと思います。
もちろん、長く生きれば苦しいこと辛いことも多く経験するでしょうが、
でも、生きるって素晴らしいじゃないですか。

40年ぶりにまた昔の曲をあいつらと歌えるんですよ。
ギターのコードひとつまともに押さえられなくなっていたことにショックを受け、
「よし、あのころのようにギターを弾けるように頑張るぞ」って、
またひとつ楽しみも増えるじゃないですか。
20年後も30年後も、
同じようにまた新しい目標を持って生きていたいじゃないですか。

母も最近は腰が曲がり、耳も遠くなってきました。
冷え性でリュウマチをかかえ、毎日苦しいようですが、
それでもいつまでも長生きしてほしいんです。
生きるって素晴らしいと思わせてくれた母に、
出来る限り長生きしてほしいんです。

笑わないでくださいね。
「レスベラトロール」をアマゾンで注文してしまいました。

「ヴェニスの商人」を観て思ったこと。

劇団四季の「ヴェニスの商人」を観て来ました。
久々のストレートプレイでしたが、
さすが四季、さすが浅利慶太さんですね。
自由劇場に演劇人の魂、執念を見ました。

劇団四季「ヴェニスの商人」

ポーシャの野村玲子さんをはじめとした
四季のキャストたちも素晴らしかったのですが、
なんといってもこの舞台は平幹二朗さんのものでした。
ユダヤ人シャイロックという悪役を演じながら、
あえて抑え気味な演技で、
観る者に社会のマイノリティーへの共感を誘います。
この膨大な量の台詞をどうやって入れるのか、
もの覚えの悪いぼくはそちらにも感嘆せざるを得ませんでした。

この「ヴェニスの商人」に触発され、
シェイクスピアをまた読み始めました。
古典劇には真理が残っています。
否、真理があるからこそ古典として残っているのですね。
真理は読むたびに、
そのときの読み手の一番ナイーブなところに触ります。
ぼくの場合はアントーニオーとバサーニオーの友情でしょうか。
類型的、原始的な友情ではありますが、
そこには確かな真理があって、
ぼくの感じやすいところを撫でていきました。

自由劇場

友情。
なんと懐かしい響きなんでしょう。
あの青春の夏の日に別れを告げて以来、
四畳半のアパートで夜どおし語り明かして以来、
その思い出とともに過去の納戸にしまったままだったようです。
あれから社会に出て時間を切り売りするなかで、
出し抜き出し抜かれ、裏切り裏切られ、
すべての局面で恋人、家族、組織が優先し、
友情という言葉さえも忘れていました。

親友バサーニオーのために自らの肉体を賭して、
ユダヤ人のシャイロックから金を借りるアントーニオー。
ポーシャから愛の印としてもらった大切な指輪を、
アントーニオーを救ってくれた博士に差し出すバサーニオー。
ぼくにこの二人のようなことができるだろうか?
ぼくには彼らのような親友がいるだろうか?
死ぬときに枕元に駆けつけてくれる友だちはいるだろうか?
そう、自分がアントーニオーにならなければ、
バサーニオーは得られないんですよね。

映画やドラマだって“愛”をテーマにしたものばかりで、
“友情”をメインテーマにしたものはほとんどないですよね。
大震災があった今年、
「誰かの役に立てるなら、自分ができることを無償でやりたい」
という気持ちを抱いた人は多いと思います。
それって、“愛”とも呼べるかもしれませんが、
“友情”に近い感覚だと思いませんか?
個人主義や組織偏重の社会ではなく、
誰かのために大切なものを差し出す、
そんな“友情”に似た気持ちが、
これからの新しい日本を作っていくのだと思いませんか?

ぼくは、日本に「友情の時代」がやってくると思います。
人と人との信義の時代です。
社会の厳しさは相変わらずでしょうが、
自分で全部取ろうとせず、
自分の分も持っていない人に快く分けてあげる。
ひとりひとりがそんな気持ちになれたら、どんなにいいでしょう。
“施す”のではありませんし、
法律で分け前を決めるというのでもありませんよ。
大震災を経験した日本だからこそ、
そろそろ気づくときだと思います。

中学のころのバンド仲間から、
久しぶりに飲み会の誘いがきました。
ほこりを被った友情がまだ健在かどうか、確かめてきます。

年を取るということ。

最近、電車でお年寄りに席を譲ることが多くなりました。
何をいまさらと思われるかもしれませんが、
これって、自分が年を取ってきた証拠のように思います。

というのも、ぼくはこのところ何年もスポーツをしていないんですね。
以前は、週末は必ずゴルフコースか練習場にいましたし、
サッカーもクラブに入って現役でプレーをしていました。
それがこのところ、占術の研究に没頭して、
スポーツで身体を動かすことがなくなってしまったのです。

で、なんで座席を譲ることが多くなったかというと、
運動をしなくなったから脚の筋肉が落ちてしまい、
電車に乗っていると、以前はなんともなかったのに、
ちょっとした揺れにも踏ん張れなくなってしまったのです。
「ああ、そうか、お年寄りはこれなら怖いだろうな」と、
我が身が弱って初めて弱者の気持ちがわかったという、
なんとも情けない次第です。

座席に座ることも、昔は、自分が中心だったと思います。
「疲れたから」
「本が読みたいから」
「荷物が重いから」
などと、意図的にお年寄りを無視していた訳ではないんですが、
自分本位だったのでお年寄りが目に入らなかったのだと思います。
たとえ気がついても、自分の前に立っていない場合には、
前の席に座っているあの若者が譲るべきだと、
心の中で他人を責めたりしていました。
目的地に座って行きたいために、
始発駅でホームに並んで電車に乗り込み、
やっと確保した席に座ってやれやれと思った瞬間、
目の前にお年寄りが立つなんていうこともありましたね。
「この時間帯に座ろうと思ったら、
このおじいちゃんだって並んで待つのが常識でしょ。
おじいちゃんも座りたいなら次の始発に並んでね」
などと、自分に言い訳をしていました。

席を立って譲ろうとすると、
7割くらいのお年寄りは「すぐに降りますから」と、
申し訳なさそうな顔で遠慮します。
でも、ぼくは、
「ぼくもすぐ降りるんですよ。どうぞどうぞ」と、
腕を引っ張って座らせてしまいます。
ちょっと押し付けがましいかもしれませんが、
そのくらいにやってもらった方が嬉しいことも、
いまのぼくは知っています。

年を取るっていいなぁ、と思います。
それに、苦労するのっていいなぁ、と思います。
だって、人の弱さ、辛さ、悲しみがわかるんですよ。
人がしてほしいこと、してほしくないことがわかるんですよ。

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